発話

社会に出て八年目。同級生には家庭を持ち、親になっている人も多い。

自分はというと、そこそこいい大学を出たものの、「やりたいことをやる」という
真っ当な夢を抱き続けたまま、社会の底辺をウロウロして、
時々あの世からのお迎えを願ってしまうほどに思い悩み、
周囲と比べて成長の遅い精神を持て余しながら、今日も淡々と悶々としている。

美しいと思うもの。心を打つ言葉。
それらに感動して人生の価値を知るたび、「表現したい」という欲求は育っていく。
初めは漠然とした「表現」に興味を持ち、混沌としたコラージュを作っていた。
様々な職を経てその興味は徐々に濾過されていき、残ったのは「言葉」と「余白」だった。
悩み抜いて行き着く答はいつもシンプルで、とても美しい。
私は手元に残った答をしげしげと見つめる。自分が求め、問い続けていたもの。


悲しい、苦しい、痛い、切ない、辛い、寂しい。

合間に、嬉しい、面白い、楽しい、美しい、愛しい、恋しい。

その繰り返しで私に残ったもの。

もっとマシな人生だってあっただろう。
選択で枝分かれしていった、遠い枝の先の私は、
それはもう立派で豪華な大輪を咲かせているかもしれない。

きっとそんな道もあっただろう。違う行動を選んでいれば。
でも私に後悔はない。
ちっとも上手くできず、格好良くもできず、
心を乱されたり頑なになったり、焦ったり。
それでも私は全力で、私として私の人生を生きている。

正しい、間違っている。
こうあるべきだ、非常識だ。
あの人はちゃんとしている、いやわかっていない。

この世界で生きていくには、他人と接している面において
考えなくてはいけないことが沢山ある。
誰かといることには必ず利害関係が生じる。
それが甘い関係であれビジネスであれ。
まあそもそも、見返りを求めない関係なんてつまらないと思うけれど。

関係においてのギブアンドテイクを考え始めると、事態はたちまち複雑になる。

でも本当は、きっとずっともっとシンプルだ。

一人の人間として、私としてここに立ち、私として、
あなたと向き合い、一緒に過ごす。
それでいい。
それこそが不変、不偏、普遍。

客観的であろうとするあまりに自分の中心からも完全に遠のいてしまい、
心をなくして自分を殺す人生に、何の意味があるのだろう。

常に心を動かすこと。世界は命の数だけ広がりがあること。

それを忘れなければ、きっと、人生は美しい。

言葉と沈黙と、未だ言葉にはしたくない言葉と、不安と勇気を持って、
積み重ねた過去と未来の白さの両方を持って、
私はあなたに問いかける。