the answer/an answer

私は正義の味方ではない。偉くもなくずば抜けた才能があるわけでもなく善良な市民とは言えない、ただの人間だ。これまで適当に生きてきたなかでも、30年以上生きていれば理不尽な目にあったし、正義と権力と成果主義と、それからくだらなくも人間なら誰もが持合わせている見栄と競争心に振り回されて心を失った経験がある。だからこそ私は自分の視野に困っている人がいるときには、見て見ぬ振りはしない、と決めたのだ。そう、盲目的な人生を生きたくないと強く思ったのだった。
相手を尊重しながら自分を守って生きていくことはとても困難で、世の中には「自分を大事にすると他人からも大事にされる」とか、色々と綺麗事が用意されているが、実際両立はし難い。その刹那に考え得るあらゆる要素について吟味すること、それらの要素に相手と自分を並列させて、考え続けること。その結果として選び取った感情と行動を自分のものと認識することが、私にとっての「誠実」である。
私は彼女の周囲で行ったことには微塵の後悔もない。同じような状況がまたやってきたら、同じようなことをするだろう。そういう行動に見返りなんて求めていないし、彼女に何かを期待してもいなかったし、何時だってその時々に自分を尽くしているだけなのだ。そこにマイナスの行為を返される謂れはない。
そう思っていたが、私は彼女を救うことで、自分を救おうとしていたということを、湿り気を帯びた空気が土と埃の匂いを際立たせてきた春の休日に、やっと思い出したのだった。
知らず知らずのうちに救われたかったのに救ってもらえなかった自分を重ねて、私は彼女を思いながら、その実過去の自分とそれを過去にしきれていない自分の弱さを、一緒に救ってもらおうとしたのだ。誰に?誰だろう。神様?関わったすべての人たち?ただ、私たち以外の心優しい誰かに。
後悔はないが、反省点はある。共感より強く、それはもう投影という距離で私は彼女の問題と私の問題の境界線を曖昧にして、自分が救われようとしたのだ。彼女と親しくなるつもりもないのに。
彼女が自分自身で問題を考えて乗り越えていくこと、そうして一人の人間としての強度を確かなものにしていくことを、私は考慮していなかった。本当の意味で助け合うことをしなかった。そこが問題だったのだろう。
求められれば意見を言い、慰め、励ましたが、彼女に自分で考えさせ選ばせて受け入れられるように動いていたかと言えば。浅はかだったと思う。
自分の弱さを周囲に受け入れてもらっているように、彼女の弱さを受け入れていかなくてはならないかと考えるときもあったが、あったことをなかったかのように、私の存在をなかったようにすることは、彼女の弱さを差し引いても私の器では受け止められない行為であり、認められない意見であった。仕方がない。ああ、これが今の私の精一杯。吟味した結果、私として彼女の問題と彼女の出した答に対し、「否」と表すことが、私の答。そしてこの答を最期に、しっかりと境界線を引き互いの弱さが馴れ合うことのないようにすることが、結末となる。
私は強くならなければならない。しっかりと自分の人生の問題を見つめて、馴れ合わず、寄りかからず、対等に尊重しあって生きていけるように。

春の嵐は収まった。さあ、ここからどの位離れていけるだろう。答合わせをしながらも新しい問題を見つけて、違う世界にいけるだろうか。

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draw the line

ここ数ヶ月とても面倒な感情に巻き込まれていて、先週ようやくそれらから抜け出すことができた。まだ完全に関係が切れたわけではないけれど、今までより距離を置けるので随分と気が楽になった。関係者、上司の皆様ありがとうございました。そしてご迷惑をおかけしました。

私もその相手も少し似ているところがあり、彼女が弱さ故に別の同僚から真っ直ぐ人格を否定をされたことがあった。その同僚は仕事が雑で、ミスを指摘されてもヘラヘラと誤魔化したり機嫌が悪くなったりするので、私はあまり良い印象を抱かず、当たり障りのない対応を心がけていた。ある時からその同僚の彼女に対する態度がおかしいと、上司も交え直接対決をし、彼女は見事に口喧嘩に負けたらしい。彼女の行為は社会人として失格だ、と言われたと、トイレで泣きじゃくって私に訴えた。私はそれを聞いたその足で上司の元へ行き、その同僚の普段の様子から、相手に偉そうに言えた立場ではないこと、平気で相手の自尊心を傷つける行為こそが問題だと話した。その結果かどうかわからないが、同僚は別のチームへ異動した。それでも彼女の気持ちはおさまらず、仕事中でもメールなどで同僚への嫌悪感や怒りを私へ伝えてきた。

時が経ち、同僚は唐突に会社を辞めた。その直後から彼女の様子が変わった。挨拶をしても無視、話しかけても聞こえないふり、向かいの席に座っていたときはPCのモニターにポストカードを貼り付けて私の顔が見えないようにする。私は彼女への態度を変えていないし、とりたてて変わったことはしていない。そもそもそれほど深いつきあいをしていないから不快な思いをさせるきっかけも何もないと思ったが、自分の意識していないことで何かをしたかもしれないし、とは言っても要求をしてこない限りは放っておこう、と決めて、なるべくこちらは媚びるでもない、冷たくするでもない、所謂フツーに接したのだ。私は友だち付き合いをするつもりはなかったので、仕事へ影響が出なければこのままの方針でいこうと思っていた。

それは2月のある日。たまたま残業をしていたら、電話が鳴った。出ると、相手は無言だった。そして切れた。もう一度電話が鳴った。同じように出ると切れた。また電話が鳴った。出ると、しばらくの沈黙の後に彼女が名乗り、◯◯さんに代わってくれ、と言った。受話器を置いて私は周りを見渡して◯◯さんを探し、そして怒りがこみ上げてくるのを感じた。今振り返ると、そこで私は彼女を拒絶する対象へと変えたのだろう。その後もわかりやすく自分だけが無視されたので、上司に自分には心当たりがないこと、このままだと仕事にも差し支えが出るので、異動が可能なら異動をしたい、それが無理で状況が変わらないのならこちらは辞めます、と言った。

その後一悶着あってようやく異動になり、今に至る。新しいチームはより細かな状況判断や緻密な作業をしなくてはならないが、その分仕事に集中でき、またメンバーも黙々と淡々と仕事をし時々冗談を話す、理想的な緊張感と安心感のバランスで動いている。余計な感情に惑わされることもないだろう。

どっと疲れたが、これでよかった。事情を知っているのかもしれないが、現リーダーはとても親切に指導をしてくれ、今のチームは人が足りなかったということもあり、「即戦力で助かる」と歓迎してくれた。前のチームも人が足りず、可愛いらしく頑張り屋のリーダーのことを思うと罪悪感に苛まれるが、険悪な空気の一因がいるより、あの彼女の気分を損ねない新人の方が良いだろう。

私は直接対決を挑まなかったので、彼女の真意は知る由もない。それでも自分なりの回答をしておかなければ気持ちの整理がつかないままで、そしてまた同じ目にあうかもしれないので、休日に寝転がりながら原因と対策をまとめてみた。

疲れたので次に続きます。

 

発話

社会に出て八年目。同級生には家庭を持ち、親になっている人も多い。

自分はというと、そこそこいい大学を出たものの、「やりたいことをやる」という
真っ当な夢を抱き続けたまま、社会の底辺をウロウロして、
時々あの世からのお迎えを願ってしまうほどに思い悩み、
周囲と比べて成長の遅い精神を持て余しながら、今日も淡々と悶々としている。

美しいと思うもの。心を打つ言葉。
それらに感動して人生の価値を知るたび、「表現したい」という欲求は育っていく。
初めは漠然とした「表現」に興味を持ち、混沌としたコラージュを作っていた。
様々な職を経てその興味は徐々に濾過されていき、残ったのは「言葉」と「余白」だった。
悩み抜いて行き着く答はいつもシンプルで、とても美しい。
私は手元に残った答をしげしげと見つめる。自分が求め、問い続けていたもの。


悲しい、苦しい、痛い、切ない、辛い、寂しい。

合間に、嬉しい、面白い、楽しい、美しい、愛しい、恋しい。

その繰り返しで私に残ったもの。

もっとマシな人生だってあっただろう。
選択で枝分かれしていった、遠い枝の先の私は、
それはもう立派で豪華な大輪を咲かせているかもしれない。

きっとそんな道もあっただろう。違う行動を選んでいれば。
でも私に後悔はない。
ちっとも上手くできず、格好良くもできず、
心を乱されたり頑なになったり、焦ったり。
それでも私は全力で、私として私の人生を生きている。

正しい、間違っている。
こうあるべきだ、非常識だ。
あの人はちゃんとしている、いやわかっていない。

この世界で生きていくには、他人と接している面において
考えなくてはいけないことが沢山ある。
誰かといることには必ず利害関係が生じる。
それが甘い関係であれビジネスであれ。
まあそもそも、見返りを求めない関係なんてつまらないと思うけれど。

関係においてのギブアンドテイクを考え始めると、事態はたちまち複雑になる。

でも本当は、きっとずっともっとシンプルだ。

一人の人間として、私としてここに立ち、私として、
あなたと向き合い、一緒に過ごす。
それでいい。
それこそが不変、不偏、普遍。

客観的であろうとするあまりに自分の中心からも完全に遠のいてしまい、
心をなくして自分を殺す人生に、何の意味があるのだろう。

常に心を動かすこと。世界は命の数だけ広がりがあること。

それを忘れなければ、きっと、人生は美しい。

言葉と沈黙と、未だ言葉にはしたくない言葉と、不安と勇気を持って、
積み重ねた過去と未来の白さの両方を持って、
私はあなたに問いかける。